2023年10月22日(日) 
新ハイキング 「比叡山坂本~石積みのある門前町~」


 
ハイキング当日、窓を開けると雲一つない青空。暑くもなく寒くもなく風もなく、すばらしいハイキング日和となりました。皆様のご精進のおかげです。

10時30分、坂本観光案内所で22名集合。観光ボランティアさん2名とも合流し出発。

まずは滋賀院門跡へ。
長い穴太(あのう)積み石垣とその上に横線が入った土塀が見えてきました。その横線は寺院の格を表していて、5本の横線は最高の格であることを示しているそうで「なるほど」と思わせる展示の数々でした。印象的だったのは「油断」の語源となった有名な「不滅の法灯」。延暦寺で以前使われていたものに法灯が揺れていました。さすがにここでは朝に灯をともし夕方には消し、菜種油の節約にできるだけ小さな灯で、と洒脱な和尚様が楽しくお話してくださいました。

次は「日吉大社」
2100年前に創祀され境内一周すると700mという広い山王総本宮です。ここでは魔よけの象徴として神猿(まさる)と呼ばれる猿が祀られ大切にされています。西本宮楼門にも四隅に楼門を守る木造のお猿さんが居ます。ここでボランティアさんからクイズ、「見ざる、聞かざる、言わざる。最後の猿は何猿でしょう」皆?????答えは「思わざる」でした。
その後は先輩との話が弾み説明を聞いていませんでしたのでこれで終わります。

日吉大社から少し離れた公園で昼食です。おしゃべりを楽しみながらのお弁当、あっという間に出発の時刻。西教寺を目指します。上り坂が続き少しきつく感じられた方もあったかと思いますが全員揃って到着。

最後の目的地の「西教寺」
聖徳太子により創建されたと伝えられ正式には天台真盛宗本山戒光山兼法勝西教寺というそうです。比叡山焼き討ちで焼失した後、明智光秀が復興に尽力したことから境内には光秀の妻や一族の墓所があります。ここで集合写真を撮りました。

帰りは下り坂、一途に出発した観光案内所へ向かって歩く、歩く。15時30分無事解散となりました。

今回は9期の先輩が4名参加してくださり、解散後ミニ同窓会をされたと聞きました。そのお元気さに感服し見習いたいと思いました。また、参加者から「先輩たちとも話ができて嬉しかったです。お話も面白くこれも同窓会に参加する価値だと感じました。」との感想をいただき担当者冥利に尽きました。また、開催までのメールでやり取りをさせもらったり終了後の体調のご様子などをお聞きしたりしたこともありがたいことでした。
来年度のハイキングに向けてアンテナを高くして情報を集めたいと思います。
来年もお会いしましょう。まだハイキングにご参加でない方も是非ご一緒いたしましょう。
                           ハイキング担当 山口 紀子

出発点の坂本観光案内所。地元ボタンティアガイドのお二人から説明を受ける。
日本に 最初に茶を伝えたのは、最澄(伝教大師)で、平安時代遣唐使として渡った中国から茶の種を持ち帰り、当地比叡山麓の坂本に植えたのが始まりと言われています。京阪電車比叡山坂本駅の脇に日吉茶園として残されています。
伝教大師最澄生誕の地。生源寺
日吉馬場の中ほどにある二の鳥居。「山王総大宮日吉大社」の石柱。
全国で約3800社あるという日吉・日枝・山王神社の総本社であることを示しています。
賀院の近く。このような穴太積の石垣が並ぶ
滋賀院勅使門
滋賀院は後陽成天皇から京都法勝寺の建物を下賜されてこの地に建立した寺である。明暦元年(1655年)には後水尾天皇から滋賀院の名と寺領千石が下賜された。滋賀院御殿と呼ばれた長大な建物は1878年(明治11年)火災により焼失し、比叡山無動寺谷法曼院の建物3棟が移されて再建された。(Wikipediaより)
両側の見事な石積みをレンズに入れ忘れました。
延暦寺の根本中堂に1200年以上も灯し続けられている不滅の法灯 と同じ灯火。案内の方が「油断」の語源を解説される。
天海大僧正の儀式用の甲冑。材料も「布と紙のみ」で作られているとのこと。
大鏧子(けいす)
長棒と呼ばれる天台座主の乗りもの
二階書院の各部屋にはこのほかにも興味深い物がたくさん展示されていました。
大宮川にかかる大宮橋(重要文化財)
大宮橋で説明を聞く
山王鳥居。普通の明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗っていて神仏習合の信仰を表す独特の形。「合掌鳥居」とも呼ばれる。
日吉大社西本宮
古くからある日吉大社の東本宮は比叡山の地主神である大山咋神が祭られていますが、この西本宮の方は天智天皇の大津京の時代、大和国の大神神社から大物主神(大国主神の和魂)を大己貴神として勧請して建てられたものです。大己貴神は大国主神の別名であり、日吉大社がわが出雲の大国主神と大いに縁があるこということを知りました。

西教寺
聖徳太子により創建されたと伝えられる天台真盛宗の総本山。
比叡山焼き討ちで焼失後、明智光秀が復興に尽力したことから明智一族の菩提寺になっています。

明智光秀とその一族の墓
令和2年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で光秀を演じた長谷川博己のお父さんである長谷川堯氏は双松5期です。ここでもわが双松会との縁がありました。

聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像
明智光秀の妻煕子の墓
西教寺から望む琵琶湖。対岸の山は三上山(近江富士)
総門の前で記念撮影 画像をクリックすると大きく表示されます。
総門から勅使門への道は両脇から桜の枝が張り出しており、桜の季節はさぞかし見事だと想像します。

当日訪れた所は赤丸で囲んでいます。上が西です


当日の参加者:敬称略
田中 英明(9)、佐々木 悦子(9)、中井 孝(9)、坂本 隆男(9)、田中 一男(11)、押田 良樹(11)、宮原 琢郎(14)
三島 幸子(14)、梅木 隆志(16)、森藤 哲章(16)、夫人、三好 資子(20)、夫君、佐野 和子(20)、松本 幸子(23)
西村 充子(23)、小松 久美子(23)、葭田 久美子(23)、橘 千里(23)、山口 紀子(23)、宍道 弘志(31)、夫人