会員の荒井悦加さんが“日本選手権を連覇”!
          〜2013年6月9日 第97回日本陸上競技選手権大会 (女子3000m障害)〜

                                                  記:松本耕司(高16=北4)

近畿双松会会員の荒井(旧姓辰巳)悦加(よしか)さん(高51=北39期、エディオン所属)が、東京都調布市の味の素スタジアムでおこなわれた標記大会の女子3000m障害で連覇を果たした。
昨年の大会はこの種目の女王、早狩実紀(京都光華AC)さんの7連覇を阻んでの初の優勝だったが、135年の歴史を有するわが母校の陸上部OB会(以下、三柳会)でも日本チャンピオンに輝いたのは、1961(S36)年の男子棒高跳の山田寧先輩(高9、当時日体大)以来、51年ぶりの快挙であった。
その後、荒井さんは昨年後半に右足かかとを痛め、今年3〜4月は完全休養を強いられるなど、痛みや故障、精神的な苦境を乗り越え、関係者の期待に応えた見事な連覇であった。全日本の舞台で優勝すること自体が大変なことであり、連覇はさらに難しいと言われる中での偉業であり、荒井さんを心から祝福したい。

荒井さんが、2007年の世界陸上競技選手権(大阪)に日本代表として出場した縁から近畿双松会の会員になり、昨年6月10日、長居スタジアムで近畿双松会関係者13名の見守る前で初優勝を果たした感動はHPや会報でもお伝えし、そのレースの模様は昨年の近畿双松会総会でも披露されて会場から喝采、拍手が巻き起こったことは記憶に新しいが、その紹介は今回はここまでとしたい。

荒井さんからは、今大会前に「思わしくない状態・・、右足かかとが痛いながらも、なんとか練習を積んできた・・。正直、今どの程度走れるかはわからないが、当日までしっかり調整したい」、という連絡をもらっていた。
当日は快晴の中、15時15分のスタート前に味の素スタジアムに到着、早速、水濠横のスタンドに行くと、荒井さんの北高時代の監督の玉野二三男先生(今春定年)と合流、玉野先生は松江から飛行機で飛んできたとおっしゃったが、二人で声を枯らしての応援となった。
やがてスタート、そして1回目の水濠への着水・・・、なんと、そこで私は苦痛に顔をゆがめる荒井さんを見ることになり、あらためてこの間の彼女の苦闘、このレースにかける強い思いを知らされた、
それから後は、無事にレースを終えてくれることのみを願った瞬間もあったが、水濠着水ごとに4〜5m離されるが、一周走ってくる間に水濠以外は見事なハードリングで盛り返す姿を2〜3回見るうちにて、あるいはこれはと、思うようになった、
願うことはただ一つ、7回の水濠の痛みに耐えて、最後の直線で勝負して欲しいということだけだった。私も玉野先生も年齢をかなぐり捨てて大声で応援を続けた・・・。そして、残り2週で早狩さんがハードルで転倒、残り300mでスパートをかけ他の選手を振り切るという見事なレース運びで、願いはかなえられた。
今シーズンの痛みとの闘いの中で、「早狩さんにかわる新女王として恥ずかしい走りはできない」との思いと意地を見せた見事なレースであった。
表彰式の前に、正面スタンドでご主人の荒井剛さんにもお会いできたが、山陰中央新報によれば、夫婦で出雲大社に参拝し必勝祈願もしてきたとのことであった。
山陰に生活や練習の本拠をおいて、日本チャンピオンになること自体が生半可な話ではない。北高〜島根大学〜実業団と、真に真っ当な、しかし、スポーツの世界では華かとは言えないキャリアの中で10年かけて花を咲かせている荒井さんを、三柳会員(陸上部OB・OG会)として、そして双松会員として、心から誇らしく思う。

記録は9分58秒22、ただ一人の9分台であった。残念ながら今夏の世界選手権派遣標準記録には届かなかったが、7月のインドでのアジア選手権へ2009年以来の日本代表として派遣されることになった(前回は優勝)。わずかな期間で痛みが癒えるはずもないが、今できる精一杯の走りを望みたい。
レース後の彼女からの連絡や、マスコミ、専門誌等の記事によれば、昨年の初優勝時以上の喜びを味わっているとのことである。それはそうであろうなと心底思う。
こうなれば、もう一度体調、故障を万全に戻して、彼女にとっては初めてとなる「9分40秒台の記録を出しての三連覇」をめざして、頑張って欲しい・・・と、勝手ながら先輩としては強く願いたいと思っている。

荒井さん、本当におめでとうございました。 万歳!